Fのさかな19号 鰰(はたはた) 2011年 春 page 18/40
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能登半島のおさかなの情報誌・フリーペーパー
平清盛、織田信長、坂本竜馬の三人は、ともに世界に目を向けた時代のパイオニアとして、歴史上もっともエネルギッシュな人たちだったといわれています。その中の一人、平清盛を中心に描いたNHK大河ドラマ「平家物語」が平成24年に放映されます。武士は上流貴族の番犬と蔑まされていた時代、それまでの院政と平安貴族による政治体制を壊し、初めて武家社会を打ち立て宗の国(現在の中国)との交易で巨万の富を築いた清盛は、時の権力を欲しいままに一族の繁栄と栄華をもたらしました。また平家の守り神、海の守り神でもあった荘厳華麗な社殿厳島神社(安芸の宮島)をデザイン造営し、短時日ながら都を京から福原(神戸)に移し、瀬戸内海航路の整備と港湾の建設により日宋貿易を盛んにしました。平安末期に生まれた清盛は実の親を知らずに、武士の新興勢力・平氏のもとで育てられ、養父忠盛とともに西方の海賊退治に乗り出し、天与の人心収攬能力で瀬戸内の海賊を束ね、若くして日本の覇者となりました。やがて公家平氏である時信の子時子を妻に迎え、その弟時忠、時子、時忠の異母妹滋子たちが平家をささえる人物となっていくのでした。滋子(建春門院)は、後白河上皇の子、高倉天皇を産み、その高倉天皇に嫁いだ清盛と時子の娘徳子(建礼門院)は中宮(皇后)となり、高倉天皇の即位で徳子が産んだ言仁親王(安徳天皇)は生後1カ月で皇太子と定められました。圧倒的な武力と財力を背景に政治の中枢へと進出していった太政大臣清盛。その威力で平家は栄華の絶頂を極め、平家武士はことごとく高位高官を占め大国の受領(ずりょう)となりました。一方、義弟時忠は、清盛の威を借る軟弱な公家ではなく、生来の決断力と実行力で貴族達の位階、官職を意のままにし、「平氏に非ずんば人に非ずと」とのことばはよく知られるところです。そんな時忠に清盛もさまざまなことを相談したと思われ、人は時忠を「平関白」と呼びました。しかし、笛の名手でもあり末代の賢王と賞された高倉天皇も、やがて悪化の一途をたどる義父清盛と実父後白河法皇との対立の挟間で心労が絶えず、21歳の若さで崩御されるのであります。摂政藤原基実こと近衛基実に嫁いだ清盛の娘盛子と最愛の長男重盛が相次いで亡くなると、後白河法皇はその領地を預かり没収したため、これに怒った清盛は、隠居先の福原から兵を連れて上洛、法皇を幽閉し高倉天皇に譲位をせまり、安徳天皇に即位させるのでした。こうして、法皇の院政を停止して最高の権力者となった平家の独裁政権の始まりは、人々の反感を買い、源頼朝はじめ、木曽義仲、武田義信ら諸将が打倒平家を叫んで次々と立ち上がる誘因となりました。富士川の戦いで敗退した平家は、福原遷都を強行しますが公家たちの反発にあい、半年で京へ戻ることを余儀なくされました。その後、本格的に反乱勢力の掃討に乗り出した矢先、一門の大黒柱平清盛は急死してしまうのでした。厳島神社福原(神戸)倶梨伽羅峠比叡山富士川近江粟津太宰府長門壇ノ浦一の谷讃岐屋島…│忠盛│清盛 ┐重盛 ─ ─ ┬│┼盛子(藤原基実妻) ─ ─ ┐時子 ┌徳子(建礼門院) ─ ─ ┬滋子 ┬安徳天皇 ─ ─ ─…│時信┴ ┬││高倉天皇 ─ ─ ─後白河天皇 ─ ┌時忠┤時実 ─ ┌時国│…時国家平家物語系図(略図)平家物語関連地図 Spring 2011 Fのさかな18