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Fのさかな18号 海鼠(なまこ) 2010 冬 page 17/40

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田鶴浜と建具の歴史七尾市の特産品の一つである田鶴浜建具は、その名の通り田鶴浜地区で作られる建具です。田鶴浜は、昔は「館ヶ浜」とも「竜ヶ浜」とも書き、もともと「タヅガハマ」といっていた名残りだろうといわ....

田鶴浜と建具の歴史七尾市の特産品の一つである田鶴浜建具は、その名の通り田鶴浜地区で作られる建具です。田鶴浜は、昔は「館ヶ浜」とも「竜ヶ浜」とも書き、もともと「タヅガハマ」といっていた名残りだろうといわれています。今から約四三〇年前の一五八〇(天正八)年、能登国を畠山家が統治していた戦国時代に、畠山七人衆の一人であった長連龍は、織田信長から鹿島半郡(現在の羽咋市千路以北から穴水町以南)を与えられ、田鶴浜の地に館を建てました。田鶴浜が館ヶ浜とも呼ばれていたのは、この連龍の館があったためとも伝えられています。一六五〇(慶安三)年、連龍の菩提を弔うため、息子の連頼が東嶺寺を再建しました。この時、尾張の国(現在の愛知県)から二人の指物師を招き、戸障子・欄間の制作にあたらせました。その技術が非常に優れていたため、村人はこぞって弟子入りし、匠の技を継承しました。田鶴浜建具の誕生です。湾全体が天然の良港という地理を生かし、多くの建具が北前船などの海路で遠くは北海道まで運ばれていました。戦後の高度経済成長期の建築ブームと共にますます栄えるかに見えた田鶴浜建田鶴浜建具発祥の元となった東嶺寺には、再建当時造られた戸障子が数多く現存しており、歴史をかいま見ることが出来る。美しい木目を出す為に砂で研磨されたという砂摺りの帯戸は現在田鶴浜建具センターに展示されている。センターでは建具の直売も行われており、伝統的なものから斬新なものまで、障子や欄間など様々な建具を見ることが出来る。予約すれば組子の体験も出来るので、物作りが好きな人は一度体験してみてほしい。17 Fのさかな Winter 2010